組合概要
奈良県吉野町で杉・桧・槇・雑木などの原木丸太を売買する国産材原木市場の上吉野木材協同組合の組合概要です。
昭和20年代の戦後復興期を経て、30年代は独自の経済成長のもとで、増大する産業需要により建築を中心とする都市の需要に対する形で木材産業が増産されるも、いちじるしい素材価格の上昇となり、原木不足が大きな悩みとなった30年代半ば、 吉野貯木場の製材、木工業者の有志が他地区に流出する原木を100年の大計として地元へ集荷し共同販売するため、設立発起人石橋保男、辻愛造、坪岡義久、丸喜一、下平隆英、盛口敬夫、梅田瀧三郎、坂本義一、泉岡正五郎、橋本貞二郎、岩本清太郎氏他が原木市場の設立を計画し、 当地製材、木工業者及び吉野郡下の素材業者、県下有力林業家から出資を募り、故辻愛造が発起人代表となり、推されて石橋保男が理事長、坪岡義久、故丸喜一が副理事長、辻愛造が専務となり地主各位様の深いご理解を得て昭和36年7月1日吉野町飯貝字佐室の地に産声をあげた。 当初組合員204名、出資金2,500万円で発足、初年度扱い量32,731立方米、売上高57,600万円、経常利益660万円を計上した。
しかし、当時の市場周辺は麓蒼とした竹籔に囲まれ伊勢湾台風の爪跡により道路事情が劣悪であった為入荷するトラックは昼夜を問わず従業員が誘導して桜橋をバックで渡り飯貝より東進して荷降ろしをする様な状態であったが石橋理事長が関係当局へ奔走して折衝し市場正面に架橋を計画、昭和38年に当時の1 ,000万円を寄付、立派な妹背大橋を建設すると共に第二期工事により土場を拡張するなど苦労の連続であった。
しかし石橋理事長の卓越した指導力と先見性、辻専務の撒密な経理、経営、故上西常務の厳しい現場作業の管理、統括等により宇余曲折を経ながらその後順調に業績を伸展させ、この間一割配当を20年間堅持積立しこれを充当して43年には出資金を5,000万円に、更に46年には6,250万円と増資した。
取扱量は37年の43,241立方米(売上高74,961万円)をピークに以降年間取扱量は40年代前半まで35,000から39,000立方米を維持し売上高も42年には10億円を突破、昭和天皇、皇后両陛下の吉野への御行幸の砌、林材まつりに於て石橋理事長が御説明の大役を拝した54年度には293,400万円(30,181立方米)を記録するに至ったが30年代後半よりの木材輸入自由化による安価な外材の大量流入、プレハブなどの非木質住宅急増等の建築用式の変化と
しかし,今後は山村の過疎化による極端な山林労働力の減少、外材と競合する並材価格の低下、住宅環境の変化による需要の減退等々原木市場の前途は決して明るいものではないが石橋理事長、辻副理事長の適切な指導により、幾多の変遷のなかで関係当局のご支援により土場の全面舗装、焼却炉設置、先日竣工した現場事務所等の整備を行うと共に出荷主、貢方様の格別なご協力と現業役員並びに従業員の努力に依って本日創立30周年の記念式典を挙行するに当り、関係各位に対し深甚なる謝意を表すると共に、役職員一同尚一層サービスの向上を図り奈良県下でも有数の定評ある堅実経営をモットーとし、今後さらに予想される困難の克服に組合員一致協力して戴く事を切に望みます。
平成3年7月6日
組合概要
奈良県吉野町で杉・桧・槇・雑木などの原木丸太を売買する国産材原木市場の上吉野木材協同組合の組合概要です。
地図
上吉野木材協同組合の所在地をGoogle地図で確認できます。椪列番号により椪列場所が決まっています、椪番地図を参照してください。
吉野材について
吉野地方では、植林・造林を500年前の室町時代より行われ、長い歴史と林業技術によって銘木吉野杉・吉野桧が今に引き継がれています。
原木市場の仕事
原木市までの仕事の流れを紹介します。
長い年月育てられた原木丸太を1本1本状態を確認して選別・仕分けを行っています。
創立30周年記念 「30年のあゆみ」
1991年(平成3年)創立30周年を記念して発行の「上吉野木材協同組合 30年のあゆみ」です。
ご出品
出品方法、手数料のご案内。
市売手数料:売上額(税抜き)の7.0% 椪列料:1㎥当り850円(税抜き)
お買上
お買上方法、取引契約金(保証金)、手数料のご案内。
保証金:100、000円
積込料:1㎥当り1000円(税抜き)